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エルピーダメモリの売上高・営業利益の推移と倒産原因まとめ

半導体, 業績推移

エルピーダメモリ

2012年に経営破綻したエルピーダメモリ。日本で最後のDRAM企業が倒産し、その後はアメリカのマイクロン社に買収され、現在に至っている。

この悲劇を繰り返さないために、いろいろデータをまとめてみることにした。今回はエルピーダメモリが倒産するまでの売上高と営業利益の推移、そして経営破綻の原因について。

決算(通年)の売上推移

エルピーダメモリは、日立とNECが1999年12月に統合して誕生。データは2000年度から。

エルピーダメモリの売上高・営業利益・営業利益率の業績推移
年度 売上高・収益 営業利益
[営業利益率(%)]
2000年 297億円
2001年 783億円 -251億円(赤字)
[-32.0%]
2002年 632億円 -238億円(赤字)
[-37.6%]
2003年 1004億円 -264億円(赤字)
[-26.2%]
2004年 2070億円 151億円
[7.2%]
2005年 2415億円 1億円
[0.04%]
2006年 4900億円 684億円
[13.9%]
2007年 4054億円 -249億円(赤字)
[-6.1%]
2008年 3310億円 -1473億円(赤字)
[-44.5%]
2009年 4669億円 268億円
[5.7%]
2010年 5143億円 357億円
[6.9%]
2011年 2011年4月~12月までの連結決算(9か月間)の純損益が-989億円の大赤字。
  • 2011年末時点の負債総額が4480億円。
  • 2012年2月27日に坂本幸雄社長は会社更生法の適用を東京地裁に申請。経営破綻。
  • 2012年3月28日でエルピーダ株が上場廃止。
  • 従業員数は約6千人弱。広島、秋田、台湾に生産拠点を持ち、当時の世界シェア3位。

倒産までのドタバタ感

  • 大手銀行などから融資を受けた計1100億円のうち、約770億円の返済メドがたたなかった。
  • 2009年に国が産業活力再生特別措置法の支援企業に認定して公的資金300億円を出資。その認定期間が2012年3月末で切れ、4月2日以降、日本政策投資銀行から返済を求められる契約だったが、それも返済できる目処がたたなかった。
  • 大手電機メーカーに出資を求めるが、当時のアベノミクス前の日本企業は資金難であることや、多額のコストがかかる半導体ビジネスに悲観していたことなどから、上手くまとまらなかった。
  • 2000年にDRAMから撤退した東芝が出資を検討していたが、最終的に多額になることや、当時の佐々木則夫(東芝社長)は、半導体よりもインフラ・エネルギービジネスに重点を置いていた人なので実現できなかった。
  • エルピーダの坂本幸雄社長は米国マイクロン(世界シェア4位)や台湾ヤンヤテクノロジー(同5位)などに出資を求め、2011年末からマイクロンに10%前後の出資を受ける方向で資本提携交渉に入っていた。しかし、2012年2月3日にマイクロンのスティーブ・アップルトンCEOが飛行機の墜落で急死。まとまっていた話しが白紙に。重なるように不運が続き、最終的に資金ショートにより倒産。

DRAMの失敗とエルピーダメモリ倒産原因

「日本の半導体産業が衰退している」みたいに言われるが、まず、全盛期だった時代があまりにもスゴすぎただけで、それと比べると衰退してるように見えるというのが本質。ピーク時の日本は半導体全体の世界シェアが50%以上だった。

そして、はっきりと衰退したといえるのは半導体メモリの一つであるDRAM(ディーラム)。ここからは日本のDRAM産業と最後のDRAMメーカーだったエルピーダメモリがなぜ失敗したのかを確認。

DRAMシェアが高すぎる

日本企業のDRAMメーカーは最盛期で10社以上あったとされる。日本企業だけでも競争が激しく、それぞれが十分な利益を得る事ができなかった。

さらに、東芝、NEC、日立、三菱、松下などの日本企業だけでDRAMの世界シェアを占有している状況。

そのため、インテルがDRAMから撤退した事をきっかけに、アメリカは日本の半導体産業に対する脅威論が強くなり、制裁につながっていった。

アメリカの対日政策はプラザ合意から

1985年の通称プラザ合意。そこから急激に円高が進み、3年後にはドルの価値が円に対して半分の240円→120円へ。

プラザ合意はアメリカが急成長する日本のハイテク産業に恐怖心をもった事によるもので、米国による「日本弱体化政策」ともいえる。そして翌年の日米半導体協定(1986年~)に続く。

日米半導体協定

1986年からアメリカは日本の半導体を中心としたハイテク産業の弱体化をもたらす政策に動く。それが日米半導体協定(1986年~1996年)。

第一次と第二次にわたって要求されたこの協定は、アメリカが自国の情報通信産業を守りたいという願いによるもの。

協定内容の概要は「日本はダンピングをしている」という根拠もない理由を前提として、アメリカが有利になる協定を強要。要求内容は以下。

第一次日米半導体協定(1986年~1991年)
●日本は半導体輸出を自主的に規制する事。
●日本は外国製、特にアメリカ製半導体を積極的に調達する事。

日本メーカーの販売価格や生産状況をアメリカから監視される事に。そして、1991年7月に第一次が満期になると、まだまだアメリカ製の半導体シェアが低いとして1991年8月からは第二次日米半導体協定を強要。内容は以下。

第二次日米半導体協定(1991~1996年)
●日本でのアメリカ製半導体シェアを20%まで引き上げ。
●DRAM規格をアメリカの規格に合わせる事。

そして、1997年7月に第二次日米半導体協定が満期になる頃に、アメリカは第三次を考えていたようだが、日本企業や日本政府の外交努力により、第二次までで半導体協定は終了。

1986年からの日米半導体協定により、日本企業のシェアは一気に低下。以下の画像を確認してもらってもわかるが、1986年以降にはっきりとシェアが下がっている。

日米半導体協定以降の日本DRAMの衰退

日本は自動車関連でアメリカから多額の貿易収支を得ていたので、こういった協定を受け入れるしかなかったのだが、この半導体協定により飛躍意識が削がれてしまったことが半導体産業の後退につながったのは言うまでもない。

ハイテク企業への制裁

アメリカは、1986年からの半導体協定だけではなく、日本の半導体企業そのものの体力を奪うような経済制裁もやっている。

  • 1987年、レーガン大統領は「日本が今だにダンピングをやっている」とでっちあげ、日本製パソコンやテレビなどの電子製品に100%の高関税をかける。東芝、富士通、NEC、日立、ソニー、パナソニックなどが影響受ける。
  • コンピュータ分野ではアメリカ国内におけるNECや富士通などのスーパーコンピュータを締め出し。
  • IBMに産業スパイを行ったと根拠無くでっちあげ、日立の社員を逮捕する。
  • 1999年、アメリカにおける東芝製ノートPCフロッピー訴訟において、苦情が一件もなく、実質的な被害がない中で1100億円という和解金を要請。東芝は一気に650億円の赤字に転落。翌年の2000年に東芝はDRAM撤退を発表。こういった制裁がなければ東芝はNANDとDRAMの両方をもつメモリ企業になれたのかもしれない。

サムスンの台頭

半導体業界は、どこかが弱くなれば、必ずどこかが強くなるという「ゼロサム現象」が起こる。

日本企業がインテルやテキサス・インスツルメンツなどの多くのDRAMメーカーを撤退に追い込んだ後、日本勢がアメリカからの制裁を受けている時、「漁夫の利」を得たように成長したのが韓国のサムスン電子だった。

サムスンは韓国内のリソースを最も多く牛耳っている財閥グループであり、豊富な資産のもとでDRAMに集中投資。特に1986年~1996年の日米半導体協定の時にサムスンは集中的にDRAMに投資している。

そして、1994年にサムスンはDRAM世界シェアトップになり、そこからDRAMトップシェアの地位を守り続けている。

韓国は1998年の経済破綻で業界再編

韓国は1998年に経済破綻(IMF危機)しているが、意外にもこれがサムスン半導体の飛躍につながっている。

というのも、この経済危機によって韓国では強烈な業界再編が行われており、それは「選択と集中」という言葉に置き換えることができる。

サムスンは自動車事業をもっていたが、再編によってそれをフランスのルノーに売却。そして自らは家電と半導体の企業に生まれ変わった。家電はコモディティ化により伸びしろが少ないので、注力したのが半導体だったというワケ。

そして、韓国は経済破綻時にIMFから約5兆円、日本からも金融支援してもらい、そのお金はサムスングループにも注入され、そこから急激にV字回復。

多くのビジネスを整理することになったサムスンは、生き残るためには半導体に集中するしかなかったことが現在のメモリ業界の地位につながっている。

バブル崩壊

「プラザ合意」→「円高不況」→「金融緩和」→「不動産と株バブル」、そして1990年代初頭のバブル崩壊。これにより総合電機メーカーの資金繰りも悪化。

毎年、多額の投資が必要となる半導体事業において、競争についていけなくなる。特にバブル以降、DRAMから撤退する企業が続出。

DRAMがアメリカ主導で規格化され、同じものを量産すれば良い時代に。つまり、規模を確立しないと競争に勝てない時代となり、今までよりも多額の設備投資が求められるようになったのだが、日本企業はそれが難しくなっていた。そして業界再編が求められ、誕生したのがエルピーダメモリだった。

3社の統合は難しい

エルピーダメモリは、1999年にNECと日立のDRAM事業の統合で誕生し、そして2003年には三菱電機のDRAM事業も譲り受けてスタートした。

大きな企業どうしの統合で「1+1=2」という現象が起こるような気がするが、やはり設計や製造技術、使っている製造装置も違うDRAM事業2社を統合するのは難しかった。

当時のNECや日立は、どちらも業界トップのノウハウと技術をもっていたので、どちらが主導権をもつべきか、あいまいな状態が続いてしまった。

この現象は、日本人の横並びの気質もあると思うが、やはり日米半導体協定の影響が大きい。

1986年から10年間続いた日米半導体協定によって「いびつな低迷」に陥る事になり、技術はあるのに財務も技術も低迷している2社が経営統合。

普通ならば競争原理のもとで勝者と敗者が生まれ、財務力が強い勝者が敗者をのみこむ現象が起こる。

しかし、日米半導体協定によって通常の競争原理でもたらされる「序列」が生じることなくエルピーダが誕生し、NECと日立の両方とも技術主導権を主張する事態に。

資金的にも問題があるため、大胆な決断もできないまま主導権争いはしばらく続き、業績も長く低迷。

エルピーダが誕生して約6年はほとんど利益が出ず、1999年の設立から2005年までの営業利益は合計で601億円の赤字。

業界や企業内にカリスマ的リーダーがいたら結果は違ったかもしれないが、今頃愚痴ってもしょうがない。

高品質路線

1986年からの日米半導体協定により、アメリカから日本製DRAMのシェアを落とすように制裁を受けるが、そのため限定的な生産量の中で利幅の高い製品を作るようになっていった。それが高性能コンピューター向けのDRAM。

しかし、時代は個人が使うパソコンが普及する時代となり、高品質DRAMよりも品質はそこそこの安いDRAMが求められるようになっていく。

そんな中、エルピーダは高品質のDRAMを作り続けていたいたため、PCが普及する初期段階の需要をキャッチすることができなかった。

製造工程の多さ

エルピーダのDRAMは、歩留り(製造良品率)が世界トップだったとされるが、良品率を高めることにのめり込んで製造工程、特に検査工程が異常に多く、製造コストが高い状態が慢性化。

そのため、良品率はそこそこながらもコストを抑えながら量産するサムスンに利益率で負けていた。工程数を削減するための設計を開発していたが、資金ショートにより経営破綻。

坂本社長が、自らの製造工程の問題を認めた上で金融機関に融資を求めていたら銀行も応じてくれたかもしれないが、坂本社長はその問題を公表しなかった。プライドを優先して失敗してしまう良くある事例かもしれない。

リーマンショックと円高

エルピーダは2008年にアメリカ発の金融危機(リーマンショック)で、1473億円の赤字を出している。さらにその後のギリシャ問題(ユーロ危機)でも市況悪化は続き、極端な円高に悩まされる。ドル円レートは75円台まで円高が進行し、競争についていけるような状況ではなかった。

不況時のサムスンの巨額設備投資

最初にアップルがiPhoneを発売したのが2007年。その時にサムスンはモバイル向けDRAMのシェアを強固にするため巨額の設備投資を実行している。

その証拠に2007年に韓国は対日貿易収支で3兆1700億円の貿易赤字を記録。これは極端な円高などの要因を除けば過去最大級だが、理由としては日本企業の半導体製造装置を大量に購入しているため。

この2007年以降にサムスンはDRAM量産を加速したが、2008年のリーマンショックが重なったことで、DRAMが供給過剰状態となり市場崩壊。すべてのDRAM企業は大赤字へ。

2008年にエルピーダは1473億円の大赤字を出し、財務環境が急激に悪化。これが2012年の倒産につながっている。

なお、2009年にドイツのDRAMメーカーのキマンダが倒産しているが、韓国メディアは「台湾企業がチキンレースを仕掛けたからキマンダが倒産した」と報道していたりする。

しかし、台湾企業ではなくサムスンの量産が原因。当時の台湾のDRAM企業にチキンレースに勝てる財務力があるわけない。「人のせい」にする韓国のいつものパターン。

韓国は電気代が安い

韓国は製造業を活性化させるため、韓国政府が電力公社の経営権をもち続け、利益が出ないレベルで事業をさせている。

つまり、国が介入して電気代を安く抑えているわけだが、爆発的に電力を消費する半導体製造において、エルピーダが韓国勢に製造コストで勝てなかった理由も電気代の違いが背景にある。

なお、今後も韓国勢は安い電気代のもとでメモリを量産していくと予測できるが、だからこそ日本政府はキオクシアなどへの支援が重要となる。

政府支援ができなかった

日本はアメリカから「ダンピング」という理由で制裁を受けていた立場だったため、積極的な政府支援ができなかった。

悲観的な世論の形成

1986年~1996年までの日米半導体協定、バブル崩壊、韓国メーカーの飛躍などによって、日本のDRAM企業は上手くいっていなかった。

上手くいっていれば、なんとか技術革新を進めて利益を出していこうとするポジティブな「世論」が形成されるはず。

しかし、日本は上手くいっていなかったため、「DRAMの微細化は限界にきている」という技術的な問題と共に、DRAMに対して悲観的な世論がつくられてしまった。

当時のメディア報道では、「DRAMの技術は止まりつつある」みたいな報道がよくされていたが、その背景に日本のDRAM産業の衰退があったのは間違いない。

東日本大震災

「リーマンショック」→「ユーロ危機」からの2011年3月の「東日本大震災」。トリプルダウンの3番目はダメージがきつかった。この2011年度4月~12月の9か月間だけでも989億円の巨額赤字を出してしまい、最終的に倒産という結果に。

何度も何度も起ちあがろうとしても、そのたびに叩き落とされるような不運が連続的に続き、日本はDRAM産業に悲観してしまった。

日銀の金融政策

エルピーダが倒産する前の数年間は急激な円高に苦しんでいた。この円高をほったらかしたのが当時の日銀総裁の白川方明。白川氏は日本の経済成長を悲観していた人間だったため、量的緩和に向き合わなかった。

積極的に量的緩和政策をしていた欧米諸国との通貨供給量のギャップが生じ、慢性的に円高へ。最高値は1ドル75円台。

日銀が日本経済が成長していく「信用」を創りだすことができなかったため、極端な円高が是正される信用も失われ、必然的に半導体ビジネスを続けていける信用さえも失われてしまった。「エルピーダメモリは日銀の白川方明が倒産させた」みたいに言う有識者が多いのはこれが理由。

民主党

エルピーダメモリが倒産したときは民主党政権。バラマキ路線の自民党を批判して政権を勝ち取ったのが民主党で、緊縮路線がメインだった。

流行語となった「2位じゃダメなんですか?」も「スパコン予算削減」という「緊縮」の話しなのだが、やはりそういった理念をもつ民主党だからこそ、エルピーダを助けようという意志が低かったように思う。自民党だったらエルピーダメモリは倒産しなかったかもしれない。

諦めることができたと考えることもできる?

日本がエルピーダメモリ(DRAM)を諦めた理由の一つとして、ものすごくポジティブに考えれば「諦めることができた」と考えることもできるかもしれない。

というのも、DRAMは「揮発性メモリ」で常に電気を通さないといけない。つまり、電力消費量が多くて不満の多い技術ではあった。

将来的に電力消費量が低い「次世代不揮発性メモリ」の開発が進んでいることもあって、「DRAMから撤退してもいいだろう」という認識が日本の経済界にはあったと思われる。

しかし、諦めるにしても2030年くらいまでは続けてほしかった。

DRAMからMRAMへ

DRAMに代わる次世代不揮発性メモリはいろいろあるが、最も将来性が高いとされるのがMRAM(エムラム)。日本ではキオクシアやソニーが開発を進め、特許レベルでも日本がリードしている状況。

将来的にはDRAMの代替が期待できる技術なので、キオクシアはそのMRAMで業界をひっくり返してほしい。

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